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追悼

今日は1月17日ですね。

 

数字で六千四百人と書いてみてもピンとこないけれど、
ひとつひとつの命、人生、つながりを考えると、気が遠くなるほど、重い数字。

神戸市垂水区にすむ伯父一家が全員無事だったことは奇跡としか言いようがない。
もし、出勤時間にかかっていたら、確実に、私のいとこは助からなかったと思う。

当時は、兵庫の大学で学んでいて、その日たまたま海外にいた姉は、
しばらく神戸にはいりボランティアに参加していた。

震災後に訪れた神戸は、なにがどこにいったのか
わからないほど変わっていたけれど、ところどころ傾いた電柱や亀裂のはいった歩道があって、
震災から何年もたったのに、生々しい傷跡があちこちにあった。

家族を、友人を、恋人を亡くした人の心に刻まれた傷がどんなものか・・・
それはもう、他人が軽々しく口にしていいような、生易しいものでないことだけは
・・・わかっている、つもりだったけど。

いま、私の大切な友人が、残されたわずかな時間を家族と過ごしています。
彼女のことを思う時、人はみんな、目隠しをしたまま、死という断崖に向かって歩き続ける、
無力で脆弱な存在なんだということを思い知らされます。
彼女はたまたまその目隠しが、断崖の前数メートルではずれてしまった・・・
目隠しをしたまま落ちて行く人も、
堕ちる瞬間に外れる人も、
もうずっと前から、断崖を見つめている人もいるでしょう。
たったひとつ確かなことは、だれひとり、その歩みを、止めることはできないということ。
私も。

彼女の病気を知り、私は自分の無力さを毎日嘆いています。
かける言葉の一つもみつけられない。
どうしたらいいのかわからず、おろおろと泣くばかり。
戦っているのは彼女なのに、私は私の、彼女を失う不安や孤独、
死への恐怖だけで押しつぶされそうです。

1995年の神戸では、六千四百人分の命につながる人たちの、
こんなどうにもならない無力感で覆い尽くされたのだと・・・
その壮絶な悲しみの大きさ、重さを、
今年、改めて・・・いえ、初めてかもしれない、思い知らされています。

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